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​地域振興部
​2019 高瀬歴史探訪

​1月26日(土)、「高瀬ゆかりの人々と出来事」と題し、菅野下在中の小野寺さんからお話を伺いました。

 菅野地区には、地元人もあまり知られていない菅野城が存在したとのこと。

 遊佐町は、山形県と秋田県の境にあり、様々な戦いの場になったとも言われています。

 町には、城と楯が14ヶ所あったとされ、そのなかで、城は唯一、菅野城だけであると。

 城主は、板垣丑次郎兼富とされ、1564年に討死し落城した歴史が残されています。

 残念ながら、菅野城の歴史は、落城する前のことは、まだ不明もまま。

 しかし、兼富の身ごもった妻が象潟町の物取りに連れ去られ、今も子孫がいるとかいないとか。

 また、菅野城は、その後の北の関ケ原の戦いにも一役買っていたらしいです。

 未だ厚いベールに包まれている菅野城です。

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